【講座趣旨】
「空虚(ヴォイド)」を主題とした創作に取り組む美術作家の菅亮平は、2013年以降ドイツに滞在し、世界大戦の悲劇や喪失を空白の空間をもって指示する、戦後西洋美術史におけるヴォイドの表象の系譜に関心を寄せてきました。2020年に広島に移住した菅は、2021年に原爆ドームの第5回保存工事で使用された塗料による絵画作品《K 15-30D》の制作を開始するなど、戦後の歴史継承の問題をめぐって想起の芸術の今日的な可能性を追求しています。
本講座では、菅が2024年から取り組んできた、広島平和記念資料館の被爆再現人形を題材としたリサーチ・プロジェクトの内容を主に取り上げます。被爆再現人形とは、1991年から2017年まで同館で展示された、原子爆弾が投下された広島の被爆直後の灰塵に帰した都市の一角を再現したジオラマ内の成人女性と女子学生、男子を模したプラスチック製の等身大の人形三体を指しています。
2010年に広島市が策定した「広島平和記念資料館展示整備等基本計画」の中でジオラマと人形の撤去の方針が示され、2013年以降に被爆再現人形論争とも言うべき賛否両論の議論が起こります。最終的に、被爆の実相を実物資料で表現する方針によって、2019年の広島平和記念資料館本館リニューアル後は人形展示も含め展示内容が大幅に変更されました。このように世間の耳目を集めた人形ですが、製作された背景は不明な点が多く、燃え盛る炎の表現が演出されたジオラマ展示においてその詳細を観察することはできませんでした。
一連の経緯に関心を持った菅は、同館で保管されていたこれらの人形の現状調査を行うことにしました。文化財保存・修復の専門家に協力を依頼し、対象となるオブジェクトの表面・内部・構造・組成等の成り立ちを明らかにすることを試みます。
菅は、2024年7月から10月に開催された原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)での個展「Based on a True Story」と2025年3月に開催された広島市立大学芸術資料館(広島県広島市)での個展「Unknown People」において、本プロジェクトのワークス・イン・プログレスを発表しました。戦争がもたらした歴史の断絶と死の記憶を継承する上で、「ドキュメント」と「フィクション」はどのような関係性にあるのか。表象の可能性を問い続けてきた菅は、被爆再現人形と向き合うことを通して、歴史継承のメソッドについて再考を促しました。
本講座では、菅の広島におけるアートプロジェクトの経緯と展覧会での発表内容を紹介し、アートの果たす役割について、受講生を交えてディスカッションを行います。歴史は、時の経過という空白によって、常に未知(Unknown)のものとして私たちの前に広がっています。本講座が、戦後80周年にあたる2025年に、歴史を未来へとつなぐ方法についてアートの領域から考察を深める契機となることを期待します。
【プログラム】
講座前 :作品資料と映像資料の共有
13:10-14:40:講師レクチャー「2020〜24年の広島でのアートプロジェクトについて」
14:50-15:30:講師レクチャー「2024〜25年の被爆再現人形リサーチプロジェクトについて」
15:30-16:20:動画視聴(第二次世界大戦におけるプロパガンダ戦略について)
16:30-18:00:受講生を交えたディスカッション(司会:小野環教授)
講座後 :コメントシートの提出
※ 受講前に講師が配布する作品資料と映像資料に目を通しておくことが望ましい。
※ 講座内で提示されるテーマについて、受講後にコメントシートの提出がある。